金欠の仙台藩は百姓や町人へ容赦なく重税を課し、破産と夜逃げが相次いでいた。さびれ果てた小さな宿場町・吉岡宿で、町の将来を心配する十三郎(阿部サダヲ)は、知恵者の篤平治(瑛太)から宿場復興の秘策を打ち明けられる。それは、藩に大金を貸し付け利息を巻き上げるという、百姓が搾取される側から搾取する側に回る逆転の発想であった。計画が明るみに出れば打ち首確実。千両=三億円の大金を水面下で集める前代未聞の頭脳戦が始まった。「この行いを末代まで決して人様に自慢してはならない」という“つつしみの掟”を自らに課しながら、十三郎とその弟の甚内(妻夫木聡)、そして宿場町の仲間たちは、己を捨てて、ただ町のため、人のため、私財を投げ打ち悲願に挑む!
今から250年前の江戸時代、藩の重い年貢により夜逃げが相次ぐ宿場町・吉岡宿に住む十三郎(じゅうざぶろう)は、知恵者の篤平治(とくへいじ)から町を救う計画を聞く。それは藩に大金を貸付け、利息を巻き上げる「庶民がお上から年貢を取り戻す」逆転の発想だった!3億円もの大金を水面下で集める前代未聞の頭脳戦勃発!計画がバレれば打ち首確実!強欲お奉行の嫌がらせを乗り越えて、十三郎と仲間たちはさらに必死の節約を重ね、ただ町のため、人のため、私財を投げ打ち悲願に挑む!!
破産寸前、絶体絶命の大ピンチ…果たして彼らは町を救えるのか!?阿部サダヲ、瑛太、妻夫木聡、竹内結子ら超豪華キャストが集結!
江戸の世に実在した人々の奇跡と感動の歴史秘話を現代に蘇らせた磯田道史著『無私の日本人』(文春文庫刊)を原作に、『白ゆき姫殺人事件』『予告犯』『残穢【ざんえ】ー住んではいけない部屋ー』等、今最も注目を集める中村義洋監督がユーモアたっぷりに映画化!
1970年生まれ、岡山市出身。歴史学者。02年、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。慶應義塾大学・大妻女子大学・宇都宮大学非常勤講師を経て04年、茨城大学人文学部助教授。15年3月現在は静岡文化芸術大学教授(専門は日本近世史)。03年「武士の家計簿ー『加賀藩御算用者』の幕末維新」で新潮ドキュメント賞。著書に「殿様の通信簿」(06)、「江戸の備忘録」(08)、「歴史の読み解き方 江戸期日本の危機管理に学ぶ」(13)、「天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災」(15)で日本エッセイストクラブ賞を受賞。NHK・BSプレミアムの歴史番組「英雄たちの選択」(13~)ではキャスターをつとめる。
1970年生まれ、茨城県出身。大学在学中にぴあフィルムフェスティバル準グランプリを受賞。崔洋一監督、伊丹十三監督らの助監督を経て、『ローカルニュース』(99)で劇場映画デビュー。その後も『仄暗い水の底から』『刑務所の中』(02)、『クイール』(04)などで脚本参加する一方、『アヒルと鴨のコインロッカー』(07)の大ヒットで一躍注目される。その後も、『チーム・バチスタの栄光』『ジャージの二人』(08)、『フィッシュストーリー』『ジェネラル・ルージュの凱旋』(09)、『ゴールデンスランバー』『ちょんまげぷりん』(10)、『映画 怪物くん』(11)、『ポテチ』(12)、『みなさん、さようなら』『奇跡のリンゴ』(13)、『白ゆき姫殺人事件』(14)、『予告犯』(15)などコンスタントに作品を発表し、その力強い演出と人間を見つめる温かな眼差しが高く評価されている。最近作に『残穢【ざんえ】ー住んではいけない部屋ー』(16年1月公開)。
実話です。原作者の磯田さんは記録となった古文書を読んで泣いたといいます。僕も泣きました。町を救うために破産するほど私財を投げ打ち、遺言は「人に話すな」。こんな人がいた、ということを伝えねばならない、今の日本を辛うじて救っているのは、こうした精神なのではないか……自分でも恥ずかしいほど一途な思いで脚本を書き、その思いに応えるように、ここぞという時には必ず呼ぼうと決めていた、頼もしいキャストの方々が集まってくれました。とはいえ、そこはエンターテインメント。武士より武士らしかった百姓たちと、私欲や保身しか頭にない武士の対決です。なんだ、今の日本と(うちの職場と)ちっとも変わらないじゃないか、なんて思いながら観て頂けたら嬉しいです。
1971年生まれ、神奈川県出身。大学時代に所属した映画研究部で、中村義洋監督と出会う。その後、劇作家・宮沢章夫氏のもとで台詞を書く楽しさを学び、中村監督の誘いで脚本家デビュー。以降、『アヒルと鴨のコインロッカー』(07)、『ゴールデンスランバー』(10)、『残穢【ざんえ】−住んではいけない部屋−』(16)など中村作品に数多く参加する。他の作品に『悪夢のエレベーター』(09)、『ボックス!』(10)、『グッモーエビアン!』(12)、『のぞきめ』(16)など。
1969年生まれ、大阪府出身。大阪芸術大学卒業後、日活撮影所に入社。伊丹十三監督作品の『大病人』(93)で初めて撮影助手として参加。07年、森田芳光監督『サウスバウンド』で本格的にデビュー。09年には映画・テレビの分野で優れた若手キャメラマンに贈られる「柴田賞」を受賞。10年、日活を退社しフリーとなる。主な作品に『わたし出すわ』(09)、『武士の家計簿』(10)、『武士の献立』(13)など。近作に『の・ようなもの のようなもの』『残穢【ざんえ】−住んではいけない部屋−』(16)などがある。
1979年生まれ、広島県出身。森田芳光監督作品『サウスバウンド』(07)、『わたし出すわ』(09)、『武士の家計簿』(10)、『僕達急行 A列車で行こう』(12)で照明助手を経験。映画以外にもTVCMなどの現場でも活躍。『体脂肪計タニタの社員食堂』(13)で照明技師デビュー。『麦子さんと』(13)、『エンドローラーズ』(15)なども担当。近作に『の・ようなもの のようなもの』『残穢【ざんえ】−住んではいけない部屋−』(16)がある。
愛知県生まれ、長野県出身。89年頃石井隆監督と出会い、映画音楽の仕事に携わる。『八日目の蟬』(11)で第35回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を、『凶悪』(13)で第68回毎日映画コンクール音楽賞を受賞。近年の主な他作品に『近キョリ恋愛』『ふしぎな岬の物語』(14)、『ストレイヤーズ・クロニクル』『ソロモンの偽証 前篇・事件/後篇・裁判』(15)など。中村監督とは『ちょんまげぷりん』(10)、『みなさん、さようなら』(13)、『白ゆき姫殺人事件』(14)、『残穢【ざんえ】−住んではいけない部屋−』(16)に続いて5本目。
1963年生まれ、北海道出身。大道具、装飾部を経て90年よりフリーの美術助手として伊丹十三、森田芳光、北野武監督作品などに参加。01年『実録・夜桜銀次』で本格的デビューを果たす。主な作品に『黄泉がえり』(03)、『着信アリ2』(05)、『歌謡曲だよ、人生は』(07)、『岳-ガク-』(10)、『ロボジー』(11)、『潔く柔く』(13)など。『岳-ガク-』(10)で、第65回日本映画テレビ技術協会映像技術賞受賞。中村組は初参加となる。
1971年生まれ、石川県出身。日本映画学校卒業後、録音助手として小野寺修氏に師事し、伊丹十三、滝田洋二郎監督作品などに参加。05年、PFFスカラシップ作品『水の花』にて録音技師に。主な作品に『ソラニン』(10)、『岸辺の旅』(15)など。07年『さくらん』で第7回日本映画テレビ技術協会映像技術奨励賞、12年『わが母の記』で第36回日本アカデミー優秀録音賞を受賞。中村監督作には『ちょんまげぷりん』(10)、『奇跡のリンゴ』(13)、『白ゆき姫殺人事件』(14)、『予告犯』(15)に続いて5本目の参加となる。
1957年生まれ、新潟県出身。おもな代表作に『釣りバカ日誌イレブン』から『釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪!』(00~02)、『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズ(07、08)、『犬と私の10の約束』(08)、『鴨川ホルモー』(09)、『超高速!参勤交代』(14)などの本木克英監督作品のほか、『出口のない海』(06)、『カムイ外伝』(09)、『日輪の遺産』(11)など多数。中村監督とは『白ゆき姫殺人事件』(14)に続いて2本目。最新作に『超高速!参勤交代 リターンズ』(9月公開)。
本作のベースとなるお話は「國恩記」という古文書に残されています。江戸時代中期(1766~)吉岡宿で起こった庶民たちによる窮民救済事業の起こり、組織、運営、実態およびこれに関わる資料をまとめた記録集。本作の著者である龍泉院の和尚・栄州端芝(えいしゅう・ずいし)は、本編にも登場します。
九品寺 宮城県黒川郡大和町吉岡志田町71
2003年、町民たちの手で彼らの功績を讃える顕彰碑が設立。その隣には、菅原屋篤平治となつが眠るお墓が立っています。当時、夫婦がともに一つの墓に入ることは珍しく、夫婦仲の良さを物語るエピソードとなっています。
仙台藩吉岡宿は現在の宮城県黒川郡大和町(たいわちょう)にありました。劇中に登場する七つ森は、今も庶民たちの暮らしを見守っています。
左から、松倉山、笹倉山、撫倉山、大倉山、蜂倉山、鎌倉山、遂倉山、たがら森。映画冒頭と終盤で、先代・浅野屋甚内が眺めている山々です。
主人公・穀田屋十三郎の家は現在も酒屋を営み、その子孫も健在です。
「この奇跡の感動物語を、後世に伝えなくては」と、ボクは思いました。人類史上、近代以降はお金が中心の世の中です。「利息」を生む資本を持つ人と持たない人の格差が生じる世の中です。ボクたちは、それと、どう付き合えばよいのでしょうか。ある日、ボクに不思議な手紙がきました。「映画『武士の家計簿』を観ました。私の故郷・吉岡宿にも、涙なくしては語れない立派な人たちがいました。書いてください」。ボクは東京大学の図書館に行き、彼らの記録「国恩記」を読んでみました。読むうち、涙がポロポロこぼれ、隣の東大生に怪訝な顔をされました。「この話は『庶民の忠臣蔵』だ。この国の庶民には、すごい人々がいたものだ。若い人に伝えなくては」。そして書き上げたのが「穀田屋十三郎」(『無私の日本人』所収/文春文庫)です。すると中村義洋という映画監督が会いにきたのです。監督はいいました。「先生と私は年も近い。二人の子どもの年も同じ。同世代の責任を共有しています」。多くの言葉は要りません。監督の心事はその顔つきでわかりました。ボクはいいました。「映画も文学も、芸術は人間の生き方に響くものであってほしい。みた人の価値観を変え、世の中を少しばかり良くしてみたい。そんなことを夢想する人に映像化してほしい。あなたに会えました」。監督が撮り上げた作品をみて、ボクは鳥肌が立ちました。すごい映画でした。女優さんだけでなく、広告代理店のおじさんまで試写室で泣いていました。ただの人情映画ではありません。資本・価値・貨幣・家族・共同体・権威・支配…いろんな問題を問うた大きな作品です。この映画を観てください。そして感じたことを人に語ってください。ぼんやりとした何かを変えるために。