著名人のおすすめコメント
- 関口裕子映画ジャーナリスト・編集者野上弥生子の「利休と秀吉」を、勅使河原宏が映画化した作品。勅使河原宏
の花、ワダエミの衣装デザイン、西岡善信の美術――公開時は、この茶の湯の
美とコンテンポラリーアートの融合に狂喜乱舞するばかりだったが、年とと
もに目の行く場所は変化していった。
10分におよぶ待庵での秀吉とのシーンで、利休のこめかみに流れる一筋の汗
。金の茶室と待庵、赤楽と黒楽の存在を別ものと考えることはできないと言
い、愛弟子・山上宗二に「宗匠様の襞の多い考え方を飲み込めない」と理解
されず、押し黙る利休。こんなに“人間的”な利休が、なぜ最期の決断に至っ
たのか当時は違和感を覚えたが、今は腑に落ちる。映画とは観るタイミング
によって変わるものであり、だからこそ惹かれるのだ。
『利休』の中で、印象的に登場する地球儀。ポルトガル人宣教師から信長へ
、信長から利休へ、利休から秀吉へと贈られる丸い地球儀は、日本国の在り
様を示すと同時に、絶えず新しいものを取り入れ、代謝し続けるべきだとい
うメッセージでもあるのではないか。勅使河原宏監督は、家康にも「終わり
は新しいことの始まり」と言わせている。
「未来の彫刻は地球そのものに刻み込まれる」。イサム・ノグチが1933年に
閃いた概念だが、これも同様なのだと思う。映画は、父で草月流創始者の勅
使河原蒼風と、イサム・ノグチに捧げられている。波乱に満ちた時代を生き
た2人は、アーティストとしてリスペクトし合った。蒼風は草月会館改修の
際、イサムに玄関口の作庭を依頼。「天国」と名付けられたこの石庭は、現
在も観ることができる。そんなイサムを宏は、“全体を見据えることのできる
環境芸術家”として千利休にたとえている。